9/22 修了までに一度は行く神保町の飲食店リスト

普段結構通ってる店も入っているのだが。


カレー

ボンディ
http://tabelog.com/tokyo/A1310/A131003/13000439/

オードリー
http://tabelog.com/tokyo/A1310/A131003/13025967/

エチオピア
http://tabelog.com/tokyo/A1310/A131003/13000638/

まんてん
http://tabelog.com/tokyo/A1310/A131003/13000603/

喫茶店

さぼうる
http://tabelog.com/tokyo/A1310/A131003/13000609/

麺類

まるか
http://tabelog.com/tokyo/A1310/A131003/13000629/

香川一福
http://tabelog.com/tokyo/A1310/A131002/13185500/

デニー
http://tabelog.com/tokyo/A1310/A131002/13058621/

追加できたらしたい

9/6

学校の勉強が出来ることというのはその人の雑多な主張を聞く基準の一つだと思っている節があって、なぜかというととにかく勉強が出来るから自分の意見が通るという経験をし過ぎたのだと思われる。
まあ精々弱い相関はありそうくらいに思っておくのが良いのだろう。

一方で実際に他人の意見を聞いて考えることはとてもエネルギーが要るので、どうしても私はこれこれ主義者ですという顔をしてこれこれ主義的にはこの問題にはこう言っとけばよい、論理は先人が舗装してある、ということをしてしまいたくなるが、そういう思考放棄が知的な態度ですかというとそれは明らかである。

最近とにかくイデオロギー的な意見をよく見るので、辟易する。
僕の物理学帝国主義も程度の差はあれど突き詰めていけばイデオロギーであるが、少なくとも電子が約束事だと思っているバカにそういった相対化されるのでは納得がいかない。
一方で物理というのがこの世界を理解する最も優れた方法であるという信念はイデオロギーであることには変わりない、たとえば人間が理解しやすいように秩序パラメータを定義しているのだし、秩序を見いだすのは人間なのだ。たとえばこういう点で人間が主体であるという限界があるのではないか?しかし相転移はその程度では揺らがない頑強かつ広範な概念であるという直観もあるので……。

文章が発散したが、つらつらと変なことを書くのは、結局スライドを作りたくないからである。

6/30

よく見る怖い夢があって、人生で5回くらい見ているのだけれど、せっかくなので記しておこうと思う。
まずゲームをやっているシーンから始まる、ゲームの種類はサウンドノベルで、内容としては何の変哲も無い主人公の男(高校生くらい)が急に友人知人の不慮の事故の現場に居合わせたり、巻き込んだりという風に、そういった事故に関わり続けてしまう、という現象に見舞われる。
たとえば鉄骨が落ちてきたりとか、ボールが当たって失明するだとか、最初のほうは関連性を見いだされないが、だんだん疑われ、疎まれて、ついにはお前のせいだ、と、事故に巻き込まれた親友の男に発狂されてしまい、ショックのあまり病室を飛び出すと、急に世界が暗転する。
そこで急に中世の絵画の太陽のような外見の超自然的存在に画面が切り替わり、「お前は疫病神だ」「しかし、人類はもっと悲惨である」という旨の言葉をいわれ、戦争やら飢餓やらの写真が奔流のように流れる、そこで主人公の男は、ああ俺は疫病神だ、しかしそれが一体なんなのだ、と悟る、画面が再び現実的な第三者視点に切り替わり、そこにはどこかの路上で虚空に向かって祈りを捧げるポーズでぽつりと取り残されている、という話である。おそらくテーマとしては、ただただ不運と不幸の連続で発狂した人々、救いはない、という話なのだと思われる。

毎回この夢を見るたびに、中世の絵画の太陽のような外見の超自然的存在に画面が切り替わるシーンがめちゃくちゃ怖くて、あ、ここからめちゃくちゃ怖いぞ、という記憶があるのだが、それを夢の中で感じるのはたいそう不思議である、あまり夢のことを書き連ねると現実と区別がつかなくなって発狂するとも言うし、これくらいにしておく。