10/13
飲み会の後の日なので寝て過ごす。
半額の総菜を食べる。
電王戦タッグマッチを観る。
9/21
ものすごい焦燥感がある!
自分の頭でどんどん考えられなくなってゆく!
8/26
最近伝説の先生方の話を聞く機会がとても多くて、大変な世界だなあと思ってしまう。
特に、甘利先生は本当にカリスマで、大天才で、オーラが違った。
8/7
最近なかなか難しい。
誰かに話を聞いてもらえると、楽になるらしい。
楽になって、切り替えができるなら、それも最近はいいんじゃないか、と思えてきた。
気晴らしがしたい。ゲームとかがいいな。
7/23 思い出のマーニー感想 ※ネタバレ注意
思い出のマーニーを見てきた。男二人で。レディースデーに。カップルだらけだった。そういう機能、デートに誘いやすくするという機能をレディースデーというのは持っているのだな、と思った。
今回の「思い出のマーニー」は、とても論理的な映画である……。回収されない伏線がない。例えば、なぜ突然夢の世界と現実を行き来するか、それは主人公がぜんそくの発作持ちだから、過去の回想で抱いているお人形にマーニーが似ている……イマジナリーフレンドを示唆している……など。
つまり、論じられるような部分がきわめて少ない。こちらで論理を組み込む隙間が無いとも言える。そういう意味では、原作がよく出来た話で、それをきちんと伏線としてちりばめたジブリの手腕が良いのだろう。
一方で、単なる間の悪さが自身の支配された運命の一環のようにとらえられてしまったりする感覚や、筋違いな愚痴をはいたり、真似をしてみたり、言動が食い違ったり、他者にとってはどうでもいいことが心に刺さったり……気難しく憂鬱な、どこかいじけたところのある少女をありありと描ききっている。
これらを統合して、伏線まみれの優しい世界を、かつての気難しかった少年少女たちだったころを、さらに昔の幸せな記憶を、もう気難しい少年少女なんて気取ってられないけれど、それでもうがった見方や自意識は隠せない、伏線を見たらすぐ消化して悦に入ってしまうような大人たちに捧げるような映画だ、として受け取った、というのが感想である。
7/22 死んでくれ環境構築 pythonではじめる科学計算♡
死んでくれ環境構築。
http://www.slideshare.net/who_you_me/10-32435124
を参考にしてます。
いい加減、あは~んうふ~んなファイルが入った私物のmbaたそでシミュレーションするのもいやになったので、配布物のレツノたそでやろう、と思い立った。
死んでくれ環境構築。
まず、python公式サイトからpython2.7をダウソからのインスコ(もう死語だよなぁ~)。
https://www.python.org/download/releases/2.7.8/
つづいて、easy_installとpipを導入。
これらの導入の参考にするのは
https://pip.pypa.io/en/latest/installing.html
がいいと思います。
ここでめっちゃこける。PATHも通したのに。
PATHの通し方は
http://mimumimu.net/blog/2014/05/09/windows-%E3%81%A7-easy_install-%E3%81%A8-pip/
がいいです。
理由は、easy_installとかpipとコマンドライン(でいいんですか?)に打つんじゃなくて、python -m pipとうつのが正しいというクソみたいなハマり。
テストのために、 python -m pip install ipythonとしてみる。
無事インストール完了。
確認のためにpython -m pip listとするべし。
仮想環境を入れるのが通のやりかた?みたいなので
python -m pip install virtualenv virtualenvwrapper-win
と打ち込む。
これこれ、これなんだよ、俺が求めてたのはこれなんだ、なんて簡単なんだ、pipとかいうのは天才か。
で、ここでミスが発覚。numpyもscipyも32bitしかあらへんやんけ!ということで、最高だな、やっぱこれが環境構築の醍醐味さ、あんたもそう思うだろ?とニヒルに笑ってタバコを吸う。
互換があるらしいので
http://www.lfd.uci.edu/~gohlke/pythonlibs/
を使う。
2,3テストしておわり。
最後に
死んでくれ環境構築。
そして……Canopy使え!!
一番大事なことは……
Canopy Expressとかいうの使えば何も問題がないからCanopy使え!!
パッケージ最高!!
いまどき手でこんなネットの情報かき集めてやるとか古いんじゃ!!
パッケージ最高!!
7/12
あのころに戻りたいという感覚は常に無い。
常に神経をすり減らしていたと思うし、少なくとも小学校の頃は、世界はこんなに面白いことにあふれているのにどうして俺は何も知らず何も出来ないのだろうという痛痒に延々と苛まれていた記憶がある。
中学高校の頃は試験の出来しか誇れることがなく、東大に入ればこの身にまとわりつく閉塞感から逃れられると固く信じていた。
大学に入ってみるととたんに自身の卑小さを否応無く理解させられてしまい、いつか来るとうすうす感づいていた破滅、それがついに訪れたのだった、と今は平静な気持ちで振り返ることが出来るだろう。
人生をやり直せるなら、という仮定はない。多様な人間、その人生、少なくともその把握できる一部を見るとそんなことは無いとも思えるが、少なくとも、両親にはなく、祖父母にもなく、ゆえにこのおれにも存在しないのだ。
環境が十二分にあるのに、結局向き合おうと思うと嫌になって逃げ出してしまう、自身の限界を知るのが怖いのだ、これからもこれまでもずっとそうだ、だから早く、このようにそういう夢を見れる環境から逃げ出さなければならない。