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ほとほと呆れたことがあった。特に記さないが、こういうとき何も無かったように振る舞うのがおそらく精神的平静を保つ手段である、そう認識して振る舞っているようではまだ弱い、しかしみんながみんなこういう風に出来ているとは到底思いがたい。まったく論理的な流れを欠くが、それは中心部について秘しているからであって、得た結論としては、そもそもみないちいち誰々に興味なぞない、省みればわかることだ。結局興味があるのは自分とごく少数のことだけなのだ。

 

ここに個人的に記す分にはかまいやしないだろう、と思ってこっそりと記すのだけれど、なかなか僕は話題が豊富なほうであると思うし、結構人の話を聞いて何らかのリアクションを返すほうだというのに、母親以外にそういうことを一切言ってもらったことがない、まったくもってひどい話である。(twitterだって本来は個人的に記すべきものなのだが、SNSにおける他者というのはなかなか難しい性質を持っている、その点blogはいい、多少このサービスにはSNS性があるけれど)

 

一息ついて生活リズムをぶち壊しにぶち壊したが、やるべきことが次々に立ち上がってくるように思える、辟易である、気乗りせずにだらだらやっていても効率がよろしくないのにだらだらやらざるをえない、パーっと気を遣わないでいい誰かと朝まで遊びに行きたいと思う、高校の友達が恋しいというのはこういうときなのかもしれない。

 

最近、自分がひどく所帯じみてはいないか、と妙なことを思う。これはいろいろなことに付随して立ち上がってくることであって、逃げにしてはならないと思うが、一個人にはいかんともしがたい部分というものがどこかに存在するということ、こういうことを明示的に自分で言うようになったこと、これすなわち敗北であると思う。世の中には勝ち負けより大事なことがある、とまではまだ言えない、あと何十年先に僕はそう口走るだろうか。

 

多少勉強のことを記そう、と内心思ったが、自身のやっていることの程度の低さに気づいて(今はただのワナビーでしかない自分がうらめしい)なんだかなあ、となってやめてしまった、地道にやっていかねばならない。