12/29 落合陽一のnews picsでの発言の抜き出しを好意的に解釈してみる

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この記事が面白かったのだが、解釈できないことはないな〜と思ったので、個人的に好意的な解釈を試みたいと思う。
高校時代に現代文が得意だった人間はこういう行為が好きだ。
ちなみに落合陽一は大学院の先輩であるが、本を読んだことはない。多分これからも読まないと思う。
あ、ちなみに動画も見ていません。登録すると解約忘れが怖いので。

「人間とは、手段であり目的ではない」ってよく言うんだよね。

社会のための手段が人間であって、人間は目的じゃないので……

ソサイエティっていうか、エコシステム……社会ってエコシステムだと思うんですよ。

エコシステム……を成立させるための人間なので。

だから、人間を重要視……重要視というか、人間を目的にした社会は破綻するんですよ。

で、人間が手段であるっていうところから考え直すと……つまり、人間の定義の問題から始まるっていうところかな……。

ああ切り出しておいていきなりなんだが、これだけでは全くわからない。問題意識が飲み込めない。

西洋国家に存在した……つまりキリスト教的西洋国家に存在した神の定義みたいなものが、天皇制でなくなってしまった以上、我々の社会には存在し得ない、っていうところを、おそらく日本社会は拝金や、成長する高度経済成長的エコシステムによって補ってきたんだけれども、その生産社会っていうか、マスメディア主義の日本社会っていうのが成り立たなくなってきたときに、どうやってアップデートし得るのかっていうのが議論になっている……ような気がする。

で、その……例えば今でもアメリカだったら、宣誓するじゃないですか。大統領が。あの機能は我々の社会にはついてないよね?その機能がついてないことによってエコシステムが不全になってるのは間違いなくて……それは……なんだろ……人間存在より上位存在を仮定することによって契約が可能になる、みたいなもの?でもそれが我々にとってはブロックチェーンでもいいし、スマートコントラクトでもいいわけですよ。で、そういうものを真面目に考えようぜって言って書いてる本だから……まあ、そんな感じ。

この下りは、ざっくり大きな物語の終焉でいいと思う。
大きな物語はもともと科学が信頼できない時代になってるよねという話だったのだが、その後科学以外の概念に広げられて、お互いに信頼しあって社会を構成するための手続き、つまりはプロトコルが信頼されなくなりつつあるよねという意味での使われ方をしている。

これを踏まえると、昔はお互いに信頼しあって社会を運用するためのプロトコル、つまり大きな物語を持っていたが、今では自ら捨て去ってしまっているので、ブロックチェーンなりスマートコントラクトなりで代替できるんちゃうんかなという提案だと読める。

とすると、先程よくわからなかった問題意識は、シンプルに言えば"今の日本に元気がないこと"である。だからアップデートしなきゃいけないのである。さらに元気がない原因は大きな物語がないから、と言っている。
これは結構マッチョな言説である。だからおじさんは落合陽一のことが好きなのかもしれない。個人的意見としては、工場で電化製品作ってりゃ良かった時代は終わって、その時代に乗れた人がラッキーという話で、就職氷河期のスケールがでかい版くらいにしか思えないので、あんまり同意できない。老人医療費はカットしてほしいけど。

この人間って、かぎかっこ付きの人間なんですよね(かぎかっこを書く)。

もっというと、個人とか市民とか言われるものですよね。理性的な判断力を持って、なにかこう、責任……私は私だっていうアイデンティティをしっかり持って、で、責任持って判断できる主体みたいなことですよ。

だから人間っていうのはそうやってある程度理性的で、合理的に判断して責任が取れるものなんだっていう……まあ、フィクションですよね。実際にはそんな立派な人間はそうそういないんだけど、人間とは一応そういうもんだっていうことに仮にしておくと、社会ってうまく回るよと。そうすると、民主主義とか例えば可能になるじゃないですか?

(落合陽一)だから宣誓しないと成立しないじゃないですか?

さっきの解釈に従うと、宣誓・人権・近代市民というプロトコルで民主主義が成立するわけだよねという例示をしていると読める。

だから、西洋の話をすると、まあ神様っていう完璧な存在がいて、人間ってのはそこに近づけないんだけど、とりあえずそれに目指して頑張る存在なんだから尊いんだみたいなことを定義するわけですよ、人間を。

ただそれは、日本っていうのはアブラハムの宗教の国じゃないので、まあ……その神様を想定できないわけですよね。なのに、だから一応天皇っていう方便を使ったんだけど、あんまりうまく行かなかったというのが戦前の日本ですよね、と。

ここでも、昔の西洋では宗教が、昔の日本は天皇制が大きな物語だったわけですよねと例示を重ねている。

戦後中流幻想を、戦後の■☆△(何回聞いても聞き取れず)の中で最も高度になし得るっていうことを頑張ったっていうのが戦後日本だったんだけど、どうやらそれをやりすぎた結果、なんか社会全体がパーになってしまった、今ここ、みたいな感じだと思うんですよね。

ここでも、戦後の日本は真面目に働いて真面目に頑張れば報われるし経済成長は続くし生活はどんどん豊かになるよねという大きな物語でやっていってたよねという例示を重ねている。

「そう。神とはドラえもんのことだったのである、っていうね」

最大の神様ですよ。人間は努力しなくてもテクノロジーが補完してくれるし、何を言っても四次元から出てくる。

四次元から出てくるってヤバくないですか!?(笑)

野比のび太って、戦後日本そのものだからね」

ここでは、戦後日本の神様は科学の力でなんでも解決してくれるドラえもんであり、科学的になんでも解決してもらっているのび太は戦後日本という対比を二人の間で共有できたので、笑っているのである。エヴァにハマって性癖こじらせてるようなオタク中二男子のイタい笑いであるが。

ということで、前半は大きな物語がないので日本は元気が無いんだ、日本をアップデートするためには大きな物語が絶対にいるんだという話なのである。落合陽一はマッチョなのである。

地球上に最初に生まれた計算機はなにかっていうと、DNAを持った生物ですと。

4進法ですすむ、デジタル計算機があって……で、これがまあベースのコードで。

で、その後、まあ……なんだろうな……非線形現象をあの……アレにした、神経系を持つ生物ってのが出てきますと。

DNAは記録媒体あるいは記録のフォーマット(AGCTという配列の並びに意味があるというのを4進法で〜で言いたいのだと思う)であり、神経系はシステムだと思うので、微妙に例えの粒度をミスっている気がするが、まあ分かる。要はなんでも計算機として捉えてもいいよね、ということが言いたいのである。

で、それが最初に書いてあって、デジタルネイチャーとは生物が生み出した量子化という叡智を、計算機テクノロジーによって再構築するということだよって。ここまでがその文章ですね。

先程よりもっと強い主張を重ねていて、俺たちがやっている計算機テクノロジーっていうのは生物46億年だかの歴史がやってきたことを再現することだ、といいたいのだろう。

で、えっと、計算機テクノロジーによって再構築するってのは、この……統計的な誤り補正と、統計的な微分処理。あー、偏微分を自動化するようなアプローチを、計算機テクノロジーによって再構築すると。

つまり、えーと、生物的、生物的デジタル処理と、あとなんだっけ……あれだ、地球が生まれて何億年っていうじゃないですか。46億年かけて作った、イテレーション

最近流行りの機械学習はまさにそういう生物46億年だかの歴史を再現する取り組みじゃん?と共感を投げかけている。
ここは真面目に読むと文章の体をなしていないので、さすがに考えるな感じろと言われている気分になる。

イテレーションによって出てきた結果、例えば、サバの背中の模様ですけど……

カタルシスであったこの部分はturing partternの話で、反応各散系という微分方程式がサバの背中の模様を再現することが知られている。先程の生物をシステムとして捉えるという複雑系の思想を踏まえて、複雑系の代表例を挙げて、実際そういう研究結果ありますよね、と例示しているのである。平たくいうと、さっきの生物も計算機だし、実際計算の結果サバの背中の模様が生まれているということが言いたいのである。

反応拡散系にどれくらい物理的有意義さがあるのかはわからないが、個人的には知性や計算などが介在してああなっているという話ではなくて、魚の模様を再現するいい数理モデルありますよ以上の話ではないと思っており、あんまり対応していない気がする。
CNNのconvolution層と視神経の話とか出したほうがいい気がする。イテレーションを重ねた結果視神経の構造がいい感じになっていて、人工知能の世界でもその構造を真似すると性能も上がったんですよ、のほうが多分筋が通るのでは。

そのイテレーションを……計算機の場合は、このイテレーションってだって一秒間に……CPUだったら3ギガ回とか回せるわけじゃないですか。3ギガ回まわせて、生物だったらこれって、一年に一回とかですよね。

この処理を回すことで、こっちのコンピュータの世界のやつを……現存する自然を更新する程度に、生態系にミックスしてしまおうと。つまり、今、人間と自然というのがあって、二項対立で語られてた問題を……一つの、人間的に定義された超自然を作って、まず。

人間的に定義された超自然の中に人とか、生物とか、あとここに計算機とかを、入れてしまうっていうような、自然観の更新なんですよ。こいつのことをデジタルネイチャーと呼んでいると。

この、定義されたデジタルネイチャーっていうのは、世界中にIoTデバイスとか、この、サブタイトルにもある「汎神化した」っていうのはIoT、ユビキタスのことなんですけど、ユビキタスバイスっていう外側の存在と、あとコンピュータの中でイテレーション回していく内側の存在っていうのが、ほぼ等価であるっていう思想に基づいているんですよ。

ここはもう哲学・世界観の話なのでそう思うなら実現しちゃってくださいという感じである。しがないデータサイエンティストはそこまで未来をぶちあげられないし、残念ながらそこまでぶちあがってる未来に共感もできない。生活があるので。飯食っていかなきゃいけないので。
一応補足しておくと、今はまだ生物46億年の再現だけど、今後は計算機が自然のなかに溶け込んだ自然観を作ることを俺はやっていくんだということを言っているのである。
思いっきり茶化すと、"俺がガンダムだ"、あるいは"俺自身が月牙になる事だ"ということだ。

ということで、後半はデジタルネイチャーってのはそもそも生物を計算機として見たってよくって、今実際に計算機で生物の再現をやっていて、今後はそれを踏まえてそういう計算機生物の二項対立を破壊して新しい自然観を作って行くんだ、という、思想的な話をしているんだなとまあまあ読めるわけである。


落合陽一のすごいところは、実際には彼は音波でものを動かしたりとか、石鹸膜にレーザーで絵を書いたりとか、レーザーで空中に絵を書いたりしていた人なのだけれど、それだけにとどまっていないところである。それらは、ぶち上げているデジタルネイチャーの要素技術っぽさが確かにあるし、ちゃんとデジタルネイチャーという新しい世界観をぶち上げることができる。皮肉ではなくて、これは凡人にはできないし、言っていることとやっていることの一定の整合性がある。

さらに、こういったハイコンテクストなトークを一席打てるわけである。言い換えれば、言論人の立ち振舞のプロトコルを再現できるわけである。やはり皮肉ではなくて、これで飯を食っていけるわけだから、単純にすごいのである。


追記

ちなみに、落合陽一みたいにマッチョな言論を打つ(ぶつ)人は結構珍しい。
古市が評価されているのは、大きな物語の終焉、日本に実際に来てますよ、若者は身内で鍋パしてユニクロで服買って幸せそうにしてますよ、というのを実証的に述べたからであったと記憶している。ワイドショーでひねくれたこと言う担当の兄ちゃんじゃないのだ。
その流れを汲んで上野が経済成長諦めろと言って、北田が経済成長やめろとかマジでやめろと怒っている、というのが多分1年前くらいの議論である。
多様性は大事なので、落合陽一みたいにマッチョな言論を打てる人がいることはいいことだと思う。

追追記
チューリング・パターンの話は、生き残りやすい(視覚的に見えにくかったり)サバの模様が遺伝していくということが自然の計算による最適化の結果だということらしい。
これは確かに頷けて、反応各散系というのは、いくつかのパラメータ(定数)によって全然違った二次元の模様を描くようなものである。
生き残ったサバの模様のパラメータが次代に受け継がれ、死んだサバの模様のパラメータは捨てられる、これはまさにイテレーションを通じた自然における最適化の結果、今のサバの模様があると言われると、納得が行く。
切り出しが短くてそこまで思い至らなかったが、主張としてはリーズナブルである。