9/24 僕とシスプリとキンスパ2018

早熟な子供だった。
早熟だったので、岡山の片田舎で生まれて、18年間もこんな狭い世界で生きていくことに絶望を覚えていた。
とにかく、暇だった。
暇だったので、父親が買ってきたパソコンで、インターネットにハマった。
みるみるオタクになった。
エヴァの二次創作とか、パワポケ攻略サイトとかを読んでいた。
そんなとき、僕はシスプリに出会ってしまった。

ある日突然、あなたに12人もの妹ができたらどうしますか?

それも……とびっきりかわいくて
とびっきり素直で
とびっきり愛らしくて
とびっきりの淋しがりや。
しかも、そのうえ……
彼女達はみんなみんな、とびっきり!
お兄ちゃんのコトが大好きなんです……

頭を殴られたような衝撃というのは、あのことを言うのだろう。
当時11歳の僕は笑ってしまって、その後一気にどツボにハマった。
なぜハマってしまったかはもう覚えていないが、その後、キャラクター紹介を眺めていたところまでしか記憶がないのだから、しょうがない。

シスプリは毀誉褒貶の激しいコンテンツだった。
当時は妹ブームといわれていて、ギャルゲーもエロゲーも妹属性がつくヒロインが人気になりがちだった。
これはもともと妹キャラというのは添え物、おまけという扱いだったというのが、徐々にメインを張るようになったという流れだったと記憶している。
2018年の……いや、少なくとも2000年代後半から、妹キャラの存在しない学園系美少女ゲームはほぼ存在しない。
妹ブーム以後、妹キャラは描くべきモチーフとして定着したことを示しているということだろう。

妹ブーム末期のなか、シスプリに対しては、妹萌えという概念が成熟し、定着していく中で咲いた時代の徒花のような扱いをする人も少なくなかった。
おそらく公野櫻子御大にしか書けない、人類の墓標に刻むべき名文、
"ある日突然、あなたに12人もの妹ができたらどうしますか?"
という問いかけのインパクトの強さでネタ扱いされることもあったのだろうと思う。
"ある日突然、あなたに12人もの妹ができたらどうしますか?"以上に人間の想像力の限界に迫る問いかけを僕はまだ知らない。

アニメの出来が良くなかったことも一因だった。
ウニメという単語を知っているだろうか?
キャベツって単語すら聞かなくなっただろうこの現代だけど、シスプリのあまりに超展開なアニメから、出来の悪いアニメをウニメって呼んでいたくらいだった。
さらに、ハマった2002年当時、シスタープリンセスはもう終わりかけのコンテンツで、これ以上のメディア展開は望めそうに無かった。

シスプリは、ハーレム作品の最たるものだとは思うけれど、推しの妹を作るのが”お兄ちゃん”の作法とされた。
"お兄ちゃん"っていうのは、ラブライブに対するラブライバーみたいなもので、シスプリ愛好家たちはお互いのことを”お兄ちゃん"と呼んでいた。
当時は推しという言葉がなかったか、あるいはあってもアイドルオタクの間だけのものだったので、お兄ちゃんたちは自分の推しの妹のことを"マイシスター"略して"マイシス"とも呼称していた。

僕のマイシスは衛だった。
外見がショタっぽいのにすごく女の子らしい子だったのと、本当にただ”あにぃ”と一緒にいたいというオーラが強い子だったので、一発でやられてしまった記憶がある。
え、"あにぃ"とは何かって?12人いる妹が12人ともお兄ちゃんって呼んだら、個性がないので、12人いる妹はそれぞれ別の呼び方でお兄ちゃんと呼ぶのだ。
シスプリは年齢を公的には設定していないので、個々のお兄ちゃんの好きなように設定していいという風潮が一般的だったのだけれど、当時の一般的な設定年齢に依ると、登場人物の半分以上は妹じゃなくて姉だなと思った記憶がある。
衛については、前述した"ただ一緒にいたいという子犬みたいなオーラ"が、これが妹だなと僕に思わせたのだろう。
逆に、可憐(メインヒロイン格)とかは、やっぱり妹として見るにはちょっと年上っぽかったのでマイシスターにできなかったのだろう。
シスプリにハマった当時結構な人数が姉に見えたが、今は全員妹に見えてしまうのは、時間が本当に恐ろしいことを教えてくれる。

衛は妹の中では1,2を争うくらい男の子っぽい女の子だったから、妹同士のカップリング相手にもされていた。
男の子っぽい女の子と女の子っぽい女の子が居たら、それはお互いに依存しあわないと何かがおかしいのは世の常だ。
カップリング相手によく採用される一番手として、花穂という12人の妹のうちの1人がいた。
花穂はドジだったり、勉強ができなかったりする。
チアダンスを習っていて、何事にも一生懸命で、うまくやれない自分に落ち込む。
落ち込んだ際はいろんな人に励ましてもらったり、”お兄ちゃま"に優しい言葉をかけてもらって、最終的に日常に帰っていく。
突き詰めてしまうと、自分に自信がないけどかわいいというモチーフの女の子で、それは僕に"妹"を感じさせた。

こうして、僕は二人の妹をシスタープリンセスに見出したのであった。
CDを買った。親が居ないすきにPlay Statitonでゲームをした。
キャラコレと言われるラノベみたいなものも買った。
二次創作のSSを読み漁ったし、自分でも書いて投稿していた。

さて、しかし終わりかけのコンテンツに終わりかけの時点でハマってしまったので、僕とシスプリの蜜月はそんなに続かなかった。
もうだいぶ記憶はあやふやなのだが、振り返ってみよう。
15歳のころの僕は、涼宮ハルヒを見て、多分これよりいいアニメはもうこれから出ないだろうと思った。
14歳のころの僕は、ローゼンメイデンを見て"生きることは戦うこと"だと教わった。27になっても未だにそう思っている。
なので、13歳くらいまではシスプリをひたすら追っかけていたと思うが、お別れは突然に、双恋という企画が新しく始まりますよということでほとんど打ち切りのような形でお別れしたのだと記憶している。

さて、これが決して僕とシスプリの全てではないが、まあ、人生の辛かった時期というか、田舎で悶々としていた時期をシスプリにだいぶ救ってもらっていた。
シスプリは間違いなく僕の人生だった。

今日はキンスパ2018で、なんとシスプリ発のユニット、pritsが出ていた。
これが運命だと思った。
水樹奈々亞里亞だった頃なんて、もう何年前か誰にもわからないけれど。
けれど、そこに居たのだ。
マイシスターたちが、そこに居たのだ。
片田舎で、膝を抱えて、パソコンの前で、ただマウスをクリックして、画面をスクロールすることしか出来なかった僕の、目の前に。
マイシスターたちが、そこに居たのだ。

"お兄ちゃま、久しぶり!"

本当に奇跡だと思った。
ああ、花穂、僕はもう、あの頃みたいに若くもないし、肌の張りもないし、頭の回転も遅くなってしまった。
僕はもう、科学者にもなれないし、最初に入った会社は半年で辞めてしまった。
とんだちゃらんぽらんな大人になってしまった。
僕は田舎の片隅で、東大に行くって当時言っていて、東大には行けたけど、大した人間にはなれなかった。
僕はもう妹萌えなんて概念も忘れちゃって、ただ日々に忙殺されてるだけだ。
僕はもうギャルゲーもしないし、エロゲーもしない。アニメもほとんど見ない。
ただ、アイドルの動画をyoutubeで見るだけだ。

花穂、思い出させてくれてありがとう。
僕に、あの頃の花穂との思い出を、思い出させてくれてありがとう。
久しぶりって言ってくれて、ありがとう。
僕はまだ、花穂のお兄ちゃまなんだ。
お兄ちゃまは、大した人間になれなかった。
僕の人生、思い通りにならないことばっかだ。
けど、僕はずっと、花穂のお兄ちゃまで居ていいんだ。
僕はずっと、花穂のお兄ちゃまだったんだ。

そんなふうに思えたこと、最近どれくらいあったかはわからないけど。
シスプリに救われた、2018年9月の休日だった。