6/10

自分より恵まれていたり能力がある人たちを僻んで、いじけるのはみっともないが、かといって自身がそのような状況に面して、何も気にしていませんよ、私はこれでいいのです、という顔をするのは、向上心に欠けているように思える。かといって私も負けませんという顔をして挑んでゆくのは体力および精神力の要ることだし、傍からみてやはりみっともないだろう、やはりそれに耐えうる精神力が必要だ。
この問題に関する一つの解は、個人的な関係の中に逃げ込むことであると考える。逃げ込まないことを選んだ場合、自身の価値を様々な場面において値踏みされることを受け入れなければならない。
もう一つの解は、自身に取って真に意義のあることを見いだすことであると考える。おそらく、真に良い仕事を為す、あるいは為そうとしている人間にとって、他者の価値観など些末なことであるから。
三つ上げた選択肢……価値判断に晒され続けるか、個人的な関係を基礎とするか、真に自身を捧げるべき対象を見つけるか……どれも選ぶ覚悟のない故に、私は腹を決めかねている、が、このまま行くと、価値判断に晒され続ける人生を選ぶことになるだろう、今はその価値判断に晒され続け、おそらく疲弊する確信があるので、人生を、生活を、恐れている。
この三つのうちのどれも選ばなかった末か、あるいは疲弊した先の、死んだように生きる人生は、きっと現在の、このような自堕落な生活と連続で、また今よりさらに少なくとも物質的には抑圧された生活を送らねばならず、なおかつ自己の責任において色々な問題を抱えることになるわけであって、少なくとも緩やかに死んでゆく生活保護者か、あるいはホームレスに行き着くだろう、というのが想像するに難くないので、どこかで自身に対してプライドを発揮する必要があるだろう、しかしながらプライドに拠って立つ人生は儚く脆いだろう、最低限の尊厳を保つためだけに必死に生きることをいつまで続けることが出来るだろう。
少なくともこういったことを考えていて何ら進歩があるわけでないので、研究はしなければならないし、生活を整えなければならない、目の前の物事を順次処理出来ない人間が、いくら思い悩んでいたってしょうがないのだから。