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クリスマスイブだ!

とらドラ!を思い出す。クリスマスというのは、まっとうな人間は幸せな記憶と結びついているものだ、リア充非リア充の議論に終始しているようでは心が貧しいと言わざるをえない、寓話を思い起こして感動する程度の感受性が無ければいけない。しかしポジショントークとして意地でも拘泥するのもそれはそれで良いのではと思う。

 

友達が死んだことを別の友達のメルアドから想起させられた、彼の分まで人生を全うしようと決意したことはどこへ行ったのか、しかしこんなことばかり考えていてはとても生活など送れないだろう、畢竟程度問題だ。

 

学科の可愛らしい友達(勝手に友達だと思ってしまっている、男である)と、良しとする生き方、言ってしまえばこれが理系的な良い生き方だ、とするもの、について予想以上に合意がとれていて嬉しかった。考え方が立派だから偉いわけでもない、そもそもそれが立派だとは思わないなんて人種のほうが世間的なマジョリティだ、変人扱いを受けるのが精々だ。

思えば僕の勉強していることが世の中の何%に通じるだろう、今はちょうど、進度と理解の不気味の谷のようなところにハマっていて、時を経てここからどちらかに這い出すのだろう。

時々誰にも賞賛されないことをやっている気分になったりする、何より悲しいのは、そう感じてしまう自分が居ることだ、そんなもののためにお勉強をしていた自分が居たことを否定できないこと自体、浅はかなことである。

自分が何のために勉強するのかが分からなくなったりもする(短期的な目標から、中長期的な目標まで全てが一切無に帰する感覚を覚える)、一般的にはこういうところを小中高のどこかで通過してくるのだろうか、やはり精神の成熟が遅かったと言わざるをえない。ぜひとも社会や生育環境の問題に帰してみたい。

とらドラ!ホーリーナイト

「今年のクリスマス ちょっと特別さ ロンリー・クリスマスじゃつまらない」