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6/30

よく見る怖い夢があって、人生で5回くらい見ているのだけれど、せっかくなので記しておこうと思う。
まずゲームをやっているシーンから始まる、ゲームの種類はサウンドノベルで、内容としては何の変哲も無い主人公の男(高校生くらい)が急に友人知人の不慮の事故の現場に居合わせたり、巻き込んだりという風に、そういった事故に関わり続けてしまう、という現象に見舞われる。
たとえば鉄骨が落ちてきたりとか、ボールが当たって失明するだとか、最初のほうは関連性を見いだされないが、だんだん疑われ、疎まれて、ついにはお前のせいだ、と、事故に巻き込まれた親友の男に発狂されてしまい、ショックのあまり病室を飛び出すと、急に世界が暗転する。
そこで急に中世の絵画の太陽のような外見の超自然的存在に画面が切り替わり、「お前は疫病神だ」「しかし、人類はもっと悲惨である」という旨の言葉をいわれ、戦争やら飢餓やらの写真が奔流のように流れる、そこで主人公の男は、ああ俺は疫病神だ、しかしそれが一体なんなのだ、と悟る、画面が再び現実的な第三者視点に切り替わり、そこにはどこかの路上で虚空に向かって祈りを捧げるポーズでぽつりと取り残されている、という話である。おそらくテーマとしては、ただただ不運と不幸の連続で発狂した人々、救いはない、という話なのだと思われる。

毎回この夢を見るたびに、中世の絵画の太陽のような外見の超自然的存在に画面が切り替わるシーンがめちゃくちゃ怖くて、あ、ここからめちゃくちゃ怖いぞ、という記憶があるのだが、それを夢の中で感じるのはたいそう不思議である、あまり夢のことを書き連ねると現実と区別がつかなくなって発狂するとも言うし、これくらいにしておく。

6/28

精神の調子がいいときに人当たりがよく、精神の調子が悪いときに人当たりが悪いのでは、まったくよろしくないが、精神の調子を一定に保つべきなのか人当たりを一定に保つべきなのか、どちらが正しいのか分からないが、一般に人当たりを一定に保てる人の方が多い気がする

6/10

自分より恵まれていたり能力がある人たちを僻んで、いじけるのはみっともないが、かといって自身がそのような状況に面して、何も気にしていませんよ、私はこれでいいのです、という顔をするのは、向上心に欠けているように思える。かといって私も負けませんという顔をして挑んでゆくのは体力および精神力の要ることだし、傍からみてやはりみっともないだろう、やはりそれに耐えうる精神力が必要だ。
この問題に関する一つの解は、個人的な関係の中に逃げ込むことであると考える。逃げ込まないことを選んだ場合、自身の価値を様々な場面において値踏みされることを受け入れなければならない。
もう一つの解は、自身に取って真に意義のあることを見いだすことであると考える。おそらく、真に良い仕事を為す、あるいは為そうとしている人間にとって、他者の価値観など些末なことであるから。
三つ上げた選択肢……価値判断に晒され続けるか、個人的な関係を基礎とするか、真に自身を捧げるべき対象を見つけるか……どれも選ぶ覚悟のない故に、私は腹を決めかねている、が、このまま行くと、価値判断に晒され続ける人生を選ぶことになるだろう、今はその価値判断に晒され続け、おそらく疲弊する確信があるので、人生を、生活を、恐れている。
この三つのうちのどれも選ばなかった末か、あるいは疲弊した先の、死んだように生きる人生は、きっと現在の、このような自堕落な生活と連続で、また今よりさらに少なくとも物質的には抑圧された生活を送らねばならず、なおかつ自己の責任において色々な問題を抱えることになるわけであって、少なくとも緩やかに死んでゆく生活保護者か、あるいはホームレスに行き着くだろう、というのが想像するに難くないので、どこかで自身に対してプライドを発揮する必要があるだろう、しかしながらプライドに拠って立つ人生は儚く脆いだろう、最低限の尊厳を保つためだけに必死に生きることをいつまで続けることが出来るだろう。
少なくともこういったことを考えていて何ら進歩があるわけでないので、研究はしなければならないし、生活を整えなければならない、目の前の物事を順次処理出来ない人間が、いくら思い悩んでいたってしょうがないのだから。

6/7

最近、生活リズムを復調させようと努力しているのにも関わらず、あっという間に安定な軌道から吹き飛んでしまい、カオス的挙動を示すようになる、これは良く知られた現象であり、たとえばPIDフィードバック系は係数のちょっとした違いで振動あるいは発振し吹き飛んでゆくし、ロジスティック写像はやはり係数次第でカオスの様相を呈すだろう、物理屋の端くれとしてこの現象、あるいは挙動について受け入れがたいところは何ら一切見当たらないのだが、残念ながら動物としての自分は、寝たいときに寝て、起きたいときに起きる、そんな生活も出来ないようでは、と嘆くほかないのであった。

5/17

非線形非平衡、非古典……ラベリングすることのできない未開の荒野と、現実の大部分に説明をつけることができる、線形、平衡、古典の恐るべき積み重ね。我々が本質的にアタックすべき問題は何か。

4/27

シュレディンガーの猫は決定論を捨てよという話だと思えば、そもそも決定論に習熟している必要があり、この意味でほとんどの人間が量子力学を不思議に思えるほど決定論に馴染んでいないにも関わらず不思議だと騒ぎ立てるのは大層不思議なことである。私は古典力学の習熟がもちろん足りていないのでまあそんなものかな程度で済んでしまった。これは幸いであろうか?